フリードリヒ3世・フォン・ザクセン(1463-1525)
○選帝侯在位1486-1525、カルロス選出時年齢56歳。
言わずと知れたマルティン・ルターの保護者。
人文主義者(フマニスト)や芸術家を保護し「フリードリヒ賢公」と呼ばれた名君。
代々ザクセン選帝侯を務めるエルネスティン・ヴェッティン家出身。
当時の選帝侯中では一番の実力者であり、マクシミリアン皇帝崩御の後、新皇帝選出までの間の皇帝代理を務めていた。皇帝選挙の際は、彼を自らの陣営に取り込もうとフランス側が画策、また、投票の直前にはハプスブルク家への権力集中を恐れた教皇レオ10世が、フリードリヒに次期皇帝立候補を打診する一幕もあった。しかしながら、彼は結局これらの申し出を断り、帝国に縁のあるハプスブルク家のカルロスに1票を投じることを決めた。
マルティン・ルターが教授を務めていたヴィッテンベルク大学は、そもそもフリードリヒが創立した学校である。1521年のヴォルムス帝国議会における「カルロス皇帝との対決」を終えたルターは、その帰り道、反対派勢力の一味を装ったフリードリヒの家臣達に擬装誘拐され、城内で暫く身を潜めることとなった。
ルターを手厚く保護したのは、その宗教改革運動の広がりを政治的に利用しようとしたためか?はたまた、単に領民の保護という領主の使命感から出たものか・・・?彼自身は結局、死期が近付くまでルター派には改宗しなかった。