ヘルマン・フォン・ヴィード(1477-1552)
○選帝侯在位1515-1547、カルロス選出時42歳。
再洗礼派運動に鑑みて、正しい改革の必要性を感じ、福音の説教を認め、さらに、進んで改革派と交わり、シュトラスブルクのブッツァーを招き、1543年、聖職者の反対を押し切って市の改革を断行した。(「カール5世/アンリ・ラペール著、染田秀藤訳」)
1540年代初頭、北ドイツで反皇帝の狼煙を挙げて暗躍していた新教派のクレーフェ公ヴィルヘルムと領土を接するケルン大司教は、領内の新教派の勢いを無視できず、また、自らも長年改革の必要性を唱えて改革派の人物と親交を深めていたことから、1542年についにルター派に改宗した。
皇帝選出時には特に大きな動きは見られない。恐らくエラスムスとも親交があり、帝国首脳部のエラスムス主義者の1人であったと見られることから、迷うことなくカルロスに1票を投じたものと推測される。だからこそ、約20年後、ルター派に改宗した際の皇帝の驚きと落胆は想像に余りある。