カルロス皇帝の侍従長、シェーブル侯に関する記述について。
1515年、彼は、ブルゴーニュ公シャルルが成人し、正式に侯爵位に即位すると、
対立していたブルゴーニュ総督マルグリットをシャルルの後見から外し、
総督の地位も解いて、一見、シャルルの親政が開始されると見せかけておいて、
実権を握り始めます。
以下、シェーブル侯の教育(洗脳?)の一旦が垣間見える記述。
「カール(=ブルゴーニュ公シャルル)には、溺愛する母親の代わりに、自分を育ててくれる一人の政府高官がいた。そのド・シェーブル氏に励まされて、彼は15歳のときから毎日閣議を主宰し、たとえ真夜中でも届くとすぐに渡される公用文書の内容を開示した。こうして鋭い観察力で生来の明敏さをみがき、洞察力によって精神力を強靭にすることを学んだのだ。」
「フランソワ1世ーフランス・ルネサンスの王ー」ルネ・ゲルダン著 辻谷泰志訳 国書刊行会
真夜中の公文書チェックの話は以下にも記述があります。結構有名な話だったのか、それともゲルダン氏がミシュレの記載から引用したのでしょうか・・・
「公用文書と国家の正式文書の山が、彼の前に置かれている。到着するものはたとえ夜中であろうとここに届けられ、彼が目を通すのだった。王子の養育係だったド・シェーヴルは、自分自身が読むことができるように、それらの文書を王子が読んで、それから評議会に報告するようにした。かくして王子の教育は少しずつ政治へ移行する。権力がマルグリットから離れ、養育係のほうへと移ったのだった。」
「フランス史Ⅲー16世紀ルネサンスー」ジュール・ミシュレ著 大野一道責任編集 藤原書店
グイッチャルディーニ著の「イタリア史」においてもシェーブル侯はフランドル宮廷の事実上の支配者として書かれており、当時から周囲の認識は現代と同じだったようですが、前述の19世紀のフランスの歴史家ジュール・ミシュレの「フランス史」において、シェーブル侯のことがさらに以下のように書かれています。
「彼は、王子からどこそこの領地を横領するというようなことをする代わりに王子自身を取ったが、それはとりもなおさず、すべてを取ったということである。」
「政治家にとっての重要な資質、すなわち人間的感情からかけ離れた、乾いた心の冷徹さをことさら教えこんだ。(中略)若い君主はド・シェーヴル譲りの陰湿な沈黙をもって、母親代わりであった叔母をある朝突然退けてしまったのである。」
ブルゴーニュ公となった15歳から神聖ローマ皇帝(ローマ人の王)として戴冠する20歳までの治世は、シェーブル候による教育の賜物、やはり傀儡政権に過ぎなかったのでしょうか・・・