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皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

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英国カルロス紀行(その4)



〜ドーバ−城〜
カルロス紀行の最後を飾るのは、イングランドの玄関口ドーバーの「白い崖」の上にそびえるドーバー城。参加したツアーの関係上、港から遠くのぞむだけで終わってしまったのが残念でしたが…。カルロスはフランドルからスペイン、スペインからフランドルの航海の途中でイングランドに立ち寄りましたが、どちらもその上陸地点となったのが、ここ、ドーバー。一行はまずこのドーバー城で歓待を受け、次の目的地へと向かったのです。海峡の向こう側にはフランス、そしてその先にベルギーが…。今回は惜しくもカルロス皇帝誕生の地を訪れることはできませんでしたが、いつかきっと。。。

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英国カルロス紀行(その3)



〜カンタベリー大聖堂〜
今回の旅の一番の目的であった大聖堂。古代から続くキリスト教の古刹にしてイギリス国教会の総本山。カルロス皇帝はイングランド訪問時にここを訪れミサをあげました。彼が訪れたころ、ここはまだカトリック教国でありましたが、ヘンリー8世と皇帝の叔母であるキャサリン王妃との離婚というイギリス国教会創設の一件により、カトリックの枠組みから外れることとなり、皇帝はその後この国を訪れることはありませんでした。皇帝とヘンリ−8世がともにミサをあげた祭壇は、ヘンリー王がのちに破壊を命じたため、今は残っていません。

英国カルロス紀行(その2)



〜リーズ城〜
ヘンリー8世時代に王室の別荘として使用された中世の古城リーズ。カルロス皇帝の2度のイングランド滞在中、ここに招待されたかどうかは不明ですが、城内の礼拝堂で椅子にかけ当時に想いをめぐらす(といっても500年前だし、自分ガイジンだし!)と、何かいいようのない不思議な雰囲気を感じさせてくれました。
ここはカルロスの足跡的にはノーチェックの場所で、城の存在自体、旅立つまでまったく知らなかった(汗)のですが、先入観が無いことが影響してか?とても素敵な気分にさせてくれる場所でした。いやー、城って本当にいいものですね。(え?古い?)

英国カルロス紀行(その1)

greenwich

〜プラセンティア宮殿〜
16世紀初め〜中頃のイングランド王国は、前世紀の内乱「薔薇戦争」において勝利し王位を継承した、「赤薔薇」ランカスター派のテューダー家が着々と自らの足元を固めた時期です。
ときの国王はヘンリー8世。彼はカルロスに先立つこと9年前の1491年、ロンドン郊外グリニッジのプラセンティア宮殿で生まれました。そこはテューダー家の本拠地として広大な敷地に建てられた、大きな宮殿だったと伝えられますが、しかし…残念ながらその建物は現存していません。
往時を偲ぶ面影は緑広がるグリニッジパークの広大な敷地のみ。その後荒廃した宮殿跡に建てられたのは王立海軍学校。また、その近くには17世紀にステュアート王朝のアン女王により建てられた「クイーンズハウス」が辛うじて美術館として残っていました。

祝☆生誕!



本日はカルロス皇帝の記念すべき誕生の日です。
今より508年前に…気の遠くなるような時間。
遠く極東の果てでひっそりと見知らぬ時代を思う一時。

来月渡英するので、ついに生誕の地ベルギーへ訪問できるかも?
と、にわかに期待したのですが、日程と場所の都合でかなわず…
陛下が洗礼を受けたガンの聖バーフ大聖堂に足を運びたかった。
幼少時代を過ごしたメヘレンのマルグリットの宮殿を訪れたかった。
そして、ブリュッセルのグラン・プラス広場でワッフルを食べたかった…。

日本で手に入る限りで陛下の足跡、関係者たちの歴史を調べてきましたが、
やはり陛下はヨーロッパの帝王。
現地に足を運び、ゆかりの地を訪れなければならないでしょう。
おそらく、まだ私はそれらを訪れる資格がないという、神の思し召しなのでしょう…

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