「シナン」(上)(下)
夢枕 獏 著
中公文庫
著者は言っています。
「まったく、1500年代-つまり16世紀というのは、なんという奇跡のような時代であったことか。それは、人類史上、世界が最も物語に満ちていた時代であった。」
その物語の時代に、オスマントルコ帝国の宮廷建築家として活躍したミマール・シナンの生涯を描いたのが本書です。
当時のヨーロッパキリスト教世界が常に脅威を感じていたアジアの大国オスマントルコは、時のスルタン「壮麗王」スレイマンのもとで最も華やかな時代を迎えていました。しかし、その首都イスタンブールにそびえ立つ聖ソフィア大聖堂-トルコが滅ぼしたビザンツ帝国が古代に建設した大建造物-の存在は、征服者トルコがキリスト教文明を超えるための大きな壁であり、これより大きなモスクを建設することが求められていたのです。
キリスト教からの改宗者でなる帝国の精鋭部隊イェニチェリの工兵として出発し数々の難題を乗り越えた主人公シナンは、やがて宮廷の主席建築家として成功を収めますが…はたして、聖ソフィアを超えるモスクの建設に彼は成功したのでしょうか?
主人公のシナン、もちろん本書に出会うまで全く知らない存在でした。
(といっても、そもそもオスマントルコのことまで手を伸ばせてない状況にあったわけですが。)
建築家として活躍した彼でしたが、小説はどちらかというとイェニチェリ時代に多くの時間が割かれています。そのため彼と、彼の友人ハサン(著者創作の人物)が巻きこまれる宮廷の陰謀が物語の核となります。
そのせいで、トルコ側にも面白い人物がたくさんいることが判ってしまいました。スルタン・スレイマンはもちろんのこと、大宰相イブラヒム・パシャ、寵妃ヒュッレム(ロクセラーヌ)などなど。
カルロスの同時代には魅力的な人物がたくさんいて困ってしまいます。だんだんカルロスから軌道が反れてしまいそうです…。
著者が言うように、まさしく「物語に満ちた時代、16世紀」!!
昨年都内の美術館で開催されたトプカプ宮殿の至宝を紹介する展覧会に足を運んでいたことも、イメージを膨らませるのに大いに貢献しました。バラの香りと黄金色に満ちた装飾品の数々。きらびやかな軍装品。去年は何かとトルコに縁があったみたい?
キリスト教世界の守護者である皇帝カルロスにとって、最大の脅威であったイスラム教世界の盟主スルタン・スレイマン。
このハプスブルク家とオスマン家の戦いは、世界の均衡に大きな影響を及ぼす戦いでもありました。しかし、時代はすでに同じ信仰を持つ国々が一つにまとまる状況にはなく、各国が自己の利害のもとに権謀術数を繰り広げる群雄割拠の只中にありました。カルロスのライバル、フランソワ王はスレイマンと密かに協力しハプスブルク家を東西から挟み撃つ方法を画策、また、トルコと対峙するイスラム教国サファヴィー朝ペルシャも常にヨーロッパ勢力と連絡をとっていました。
本書の中で登場するヴェネツィア共和国もまた同様であり、ときの共和国元首アンドレア・グリッティの息子アロイシ(アルヴィーゼ)は、トルコ宮廷の中で大きな力を持ち、やがて征服されたハンガリーの総督にまでなります。しかしそれには母国をオスマン、ハプスブルクの両勢力から守るという理由もあったのです。
このグリッティ親子も魅力的なキャラクターたち。
今まで、ヴェネツィア共和国はカルロスの時代を追う中で頻繁に国名が登場する重要な登場人物であるものの、共和制国家であるためか、個人の顔が見えてこない不気味(?)な存在でした。
(これも単に自分の知識不足から来るのでしょうけど。)
しかし、今回、元首アンドレア・グリッティの存在を知ったことは大きな収穫です。ヴェネツィアの存在もますます目が離せません。
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