「ネーデルラント旅日記」
アルブレヒト・デューラー著/前川誠郎訳
岩波文庫
1520〜1521年の約1年間、ドイツの画家デューラーがネーデルラント地方を
旅した際の日記。日記は日々の金銭のやり取りを詳細に残した出納簿からなっており、
16世紀の日常にわずかながら触れられるような気がして、とても面白いです。
なかでも、ルター逮捕のニュースを聞きつけた日の衝撃に満ちた一文は、当時の宗教
改革の火付け役がヨーロッパ(キリスト教)社会に巻き起こした熱狂と、その影響力
の大きさを窺い知ることができるものです。
デューラーの旅の目的は、彼のパトロンであったマクシミリアン皇帝から絵画事業の
報酬として約束されていた年金の支払いが滞っており、さらに、1519年に皇帝が
世を去ったことにより、その給付継続がいよいよもって怪しいものとなったことに端
を発します。
彼は、マクシミリアン皇帝の後を継いだ孫のカルロスが、ローマ王戴冠式に臨むため
スペインからネーデルラントへ戻ってくるのを機に、年金給付の継続を請願するため
ドイツから向かうことを決心したのでした。
そういうわけで、日記にはカルロス皇帝に関する重要な目撃情報が登場してきます。
1520年10月23日
「10月23日アーヘンにてカルル王戴冠。
私はこの世に生きる何人もこれよりさらに壮麗なものを見たことがない盛儀の一切を
目にした。」
神聖ローマ帝国の古都アーヘンで行われたローマ王の戴冠式に彼は参列している!
1521年7月3日
「私はアントウェルペンの民衆たちがデンマーク王の姿に接したとき、この本当に凛
々しい美男がわずか3人で敵地を通って来たことにを驚いているのを見た。
私はまた皇帝がブリュッセルから騎馬で王の方へと来られ、敬意をこめ盛大な威容を
整えて王を迎えられたさまを見た。そのあと私は、皇帝とマルガレータ女公がその翌
日催された大そう立派な宴会を見た。」
この数日前にデンマーク王クリスティアンの肖像画制作を依頼された彼は、王を訪れ
たときにカルロス皇帝が王を出迎える場面にも遭遇しています。クリスティアン王は
このとき、自分の妃でもある皇帝の妹イサベルの婚資の支払いを催促するため、わざ
わざ会いに来ていたと言われています。デューラーもクリスティアンも、カルロスに
金を督促しに来ていた同士という訳だ!
(約束ばかりで中々金を払わない、当時のハプスブルク家の気質がうかがわれます)
また彼は、時のネーデルラント総督マルグリットから年金給付確約の通知を獲得する
のに成功した後、彼女にも謁見しています。
謁見に合わせて彼はマルグリットの父である亡きマクシミリアン皇帝の肖像画を持参
して献上を願い出ますが、彼女の意に添わず、やむなく持ち帰ったりしています。
その翌日は彼女に美術品コレクションを見せられていますが、その中に恩師の遺作の
スケッチを発見した彼は、思わず拝領を願い出ますが、これも断られています。
可哀想なデューラー。そして、大芸術家を前にしてもさすがマルグリット叔母さま。
彼は、この1年の旅行中の精算を行った日記のなかで、こう書いています。
1521年6月28日
「殊にマルガレータ女公は私が彼女に贈りまたそのために制作したものに対し何もの
をも下さらなかった。」
年金払う約束をもらったんだから、いいじゃないかデューラー先生!
カルロスを皇帝選挙で勝たせるために、選帝侯たちに莫大な政治資金をつぎ込んだ後
のマルグリットには金の余裕がなかったのだ、きっと。
(と、するとその後の年金が実際ちゃんと支払われたのか疑問が残ります…)
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