朝日選書521「ハプスブルク家と芸術家たち」
ヒュー・トレヴァー=ローパー著/横山徳爾訳
朝日新聞社
本書のようなタイトルの場合、ベラスケスに代表されるようなカルロス皇帝よりもっと後の時代のことや、19世紀のオーストリアのことについて書かれることが多いのですが、原著のタイトルに「王侯貴族と芸術家ーハプスブルク家の4つの宮廷における芸術保護と宗教的信条、1517〜1633」とあるように、珍しくカルロス皇帝の時代が取り上げられていること、単に宮廷画家との関係だけでなく宗教的信条を取り上げていることが特徴的です。
カルロス皇帝について書かれた第1章では、彼が「見いだした」3人の芸術家として詩人アリオスト、画家ティツィアーノ、彫刻家レオーニの名が挙げられていますが、それよりも興味深いのは「宗教的信条」について書かれた部分で、カルロス皇帝の治世はエラスムス思想を中心としたキリスト教的人文主義による(キリスト教)世界の改革と統一にあった、というのです。
しかしその理想は、彼の40年余りの治世のうち最初の10年間に「成功の幻想」をみたにすぎず、時をまたずして始まった世界の分裂は皇帝を苦悩の渦に巻き込み、その肉体と精神はすり切れになっていきます。
皇帝専属の画家として数々の肖像画を描いたティツィアーノ。皇帝はその晩年に彼を呼び、自ら皇帝退位の計画を打ち明け、引退後の住まいに携えていく絵画の制作を依頼しています。それが「聖三位一体の礼賛」。この絵の中で、祈りを捧げる群衆の中に皇帝・妻イサベル・息子フェリペが描き込まれています。自らの理想の実現に遁走し、やがて挫折していった皇帝は、この絵を傍らに置きながら静かな祈りの日々を送るつもりでいたのかも知れません。
(実際の隠遁生活は、思いのほか精力的であったようですが。)
ネーデルラント生まれのエラスムスが巻き起こした教会改革の思想は、同郷のカルロス皇帝に多大な影響を与えたことは想像に難くありませんが、それが生涯に渡って彼の宗教的信条の土台をなしていた、というのは新たな発見でした。
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