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皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

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「あるドイツ人画家の手紙」

デューラー書簡
「自伝と書簡」
アルブレヒト・デューラー著/前川誠郎訳
岩波文庫

既出の「ネーデルラント旅日記」の姉妹編ともなる、デューラー自筆の書簡集が同じ岩波文庫から出ました。16世紀ドイツの偉大な画家が送った私的・公的な手紙や、自らの出自を書き綴った記録が載せられています。
生涯の盟友であり最大の支援者でもあった地元の有力者、ヴィリバルト・ピルクハイマーへ向け書かれた若き日の「ヴェネツィア通信」は、500年前とは思えないほど、現代人にも親近感の持てる活き活きとした内容です。(訳者は現代語訳にあたり、余りにも近代人のようになってしまうことに悩んだと述べていますが…)
また、「ネーデルラント旅日記」での最重要課題であった神聖ローマ皇帝マクシミリアンからの年金支給問題がいかに難儀したかを物語る数々の書簡が非常に興味深い。孫のカルロス皇帝からの支給確約の指示書には、長年の目的達成の感慨もひとしおだったろう、と推察されます。
はるか昔の(著名であったとはいえ)一個人の手紙が、こうして遠く離れた極東の果てで読まれているだろうとは、彼も考えもしなかったことでしょう。跡かたも残らない電子メール時代にあって、手紙の持つ重みを実感させられます。

デューラーの年金継続問題の書簡を見ていると、マクシミリアン皇帝は帝国にあって強力な権力基盤を築けなかったのでは?と、感じずにはいられません。そもそもは、皇帝が画家に依頼した「版画事業」(マクシミリアンの功績を讃えるプロパガンダ)の報酬として、市税の納税免除を指示したのが始まりなのですが、当のニュルンベルク市は皇帝の命令を拒否したといいます。

これを受けて皇帝は、やむなく納税免除から定額年金支給、しかも市が帝国に納める上納金からその金額を差し引くという形に方針転換し、再度の指示を送っています。これでやっと市当局は動きだしますが、その後も年金額の一部が支払われただけで支給がストップ、しかも皇帝が突然薨去して問題は宙に浮いたままとなってしまうのです。たかが画家一人に対する報奨金の支払いをめぐってこんなにややこしい事態になってしまうとは!皇帝の厳命は、市当局にとって「鶴の一声」にはなりえなかったのです…。

結局デューラーは交遊のある有力者たちに働きかけ続け、自らもドイツからフランドルへと赴き、マクシミリアンの跡を継いだカルロス皇帝から、やっと年金支給の確約を受ける事ができました。
ニュルンベルク市宛にデューラーが書いた年金領収の手紙がこの本で紹介されており、また、同様の手紙がほぼ毎年残されていたらしく、晩年の彼にとっていかに重要な問題であったかが窺われます。以前「ネーデルラント旅日記」の回で、支給確約の後ほんとうに支払いが継続したのか?と書きましたが、今回の書簡を読んで、以後彼が亡くなるまで年金支給されたことを知り、なんだかほっとしました。

その他の書簡で興味深いのは、今からちょうど500年前の1508年〜1509年にかけて書かれた、ヤーコプ・ヘラー宛の手紙です。この頃デューラーは祭壇画の製作に取りかかっており、クライアントであるヘラー宛に、この仕事の報酬をアップするよう再三にわたって交渉の手紙をしたためています。

「上等のウルトラマリーンの絵の具を使用するので当初の金額では足りません…」「約束の時期より完成が遅れるので、その間の生活費が必要です…」完成が遅いと周囲に漏らしたクライアントに時に弁明し、時になだめすかし、すべてはこの上ない素晴らしい作品に仕上げるためあらゆる言葉を尽くす…それぞれの手紙からは必死に折衝を続けるデューラーの姿が目に浮かぶようです。
その結果晴れて完成を見、その後200年余り存在した「ヘラー祭壇画」。ヘラーにとっては高い買い物(?)だったかもしれませんが、それを補って余りある歴史的偉業となったのではないでしょうか?

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