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皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

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老獪なる侍従長、シェーブル侯


シェーブル侯爵ギョーム・ド・クロワ(1458−1521)

カルロス皇帝の少年時代に多大なる影響を及ぼした侍従長。
カルロスのスペイン統治初期において、フランドル宮廷出身の実力者として大きな力を振るい、スペイン貴族たちをして、「カルロス王はシェーブル侯の傀儡である」と言わしめた。1520年に勃発した、「コムネーロスの乱」発生の要因の一つとなった人物。

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皇帝を襲った「悲劇」とは…?


「皇帝カルロスの悲劇 ハプスブルク帝国の継承」
藤田一成 著
平凡社

 先祖代々受け継がれて来た「結婚政策」の成功によって16世紀に広大な領土を得たハプスブルク家。ヨーロッパ中を駆け巡った、ときの当主カルロス皇帝は治世の晩年、全ての権力を親族に託し、侘しい寒村に建つ修道院で隠遁生活に入ります。
 本書はその生活中に交わされた数々の書簡を分析し、皇帝が亡くなるまでの約3年間をまとめあげた好著です。家族の心配事に心を痛め、生活費の工面に頭を抱え、家臣との軋轢にいら立ち、日々の食事にこだわる等、ルネサンス時代最高の権力者の「人間臭い」姿を身近に感じとることができるのがとても素晴らしい。そんな日々の姿をたどりながら、なぜ強大な君主の座を降りたのか?なぜ辺境の修道院が最期の場所と定められたのか?に迫ります。

 ところで、彼は生来の暴飲暴食癖と無類のビール好きがたたり、痛風の悪化によりこの世を去りましたが…タイトルの「悲劇」とは実はこのことかも?

主要年表(ユステ隠遁編)



1555年 10月25日
       ブリュッセルにてブルゴーニュ公爵位退位式典開催。
       スペイン王位、ブルゴーニュ公爵位を息子フェリペに、
       神聖ローマ皇帝位を弟フェルナンドに譲る。

1556年 8月8日
       スペインへ向かうため、ブリュッセルを出発。
      9月17日
       ネーデルラントのフリッシンゲンの港を出発。
       見送りに来た息子フェリペとは今生の別れとなる。
      9月27日
       スペイン北部ラレドの港に到着。
       宮廷のあるバリャドリードに向かう。
      10月20日
       途中の町カベソンで出迎えた孫と会う。
       孫の皇太子ドン・カルロスとは初めての対面。
      10月21日
       バリャドリードに到着
      11月4日
       宮廷に別れを告げ、隠遁地ユステに向かう。
      11月12日
       ユステの手前の町、ハランディーリャ到着。
       地元領主オロペサ伯の城で仮寓生活を送る。

1557年 2月3日
       ユステ修道院に入る。
      4月2日
       執事長ルイス・キハーダが里帰り。
      8月10日
       サン・カンタンの戦いでスペイン軍がフランス軍に勝利。
       その10日後、勝利の報にユステが沸く。
      8月23日
       キハーダが戻る。
      9月28日
       姉レオノールと妹マリーがユステを訪れる。

1558年 1月18日
       レオノールが30数年振りに娘マリアと再会。
      2月18日
       再会の地からの帰路、レオノール急死。
      3月12日
       フランクフルトで開催された帝国議会において、
       弟フェルナンドが次の皇帝として承認される。
       神聖ローマ皇帝フェルディナント1世として戴冠。
      7月6日
       一時帰郷したキハーダが妻とユステに戻る。
       庶子ヘロニモと初めて対面する。
       のちのオーストリア大公ドン・フアン。
      8月30日
       体調が急激に悪化する。
      9月20日
       トレド大司教が駆けつけ、ミサを執り行う。

      9月21日未明
       カルロス5世薨去。享年58歳。


*参照「皇帝カルロスの悲劇 藤田一成著 平凡社」より

主要年表(少年時代編)



1500年 ブルゴーニュ公国フランドル地方の都市ガン(現在のベルギー)の宮殿で誕生(2月24日)。
      ガンの聖バーフ大聖堂で洗礼を受ける。
1501年 妹イサベル誕生。
      両親が王位継承問題のため陸路スペインへ出発。
      パリに立ち寄り、フランス王ルイ12世の娘クロード(2歳)との婚約が決まる。
1502年 両親がスペイン王位継承者であることを議会で宣言。
1503年 父フィリップが一足先にフランドルへ帰国。
      弟フェルナンドがスペインで誕生。
1504年 母フアナがフランドルへ帰国。
      スペインで祖母カスティーリャ女王イサベルが薨去。
      母フアナ、カスティーリャ女王即位を宣言。
      ルーヴァン司教アドリアンが家庭教師となる。
1505年 妹マリー誕生。
      両親がカスティーリャ王位継承のため海路スペインへ出発。
1506年 父フィリップがスペインで客死。
1507年 妹カタリーナがスペインで誕生
      叔母マルグリットがネーデルラント総督となる。 
1508年 祖父ローマ人の王(ドイツ王)マクシミリアン、神聖ローマ皇帝即位を宣言。
      マルグリットと共にブルゴーニュ公国内のネーデルラント各都市を巡幸。
1509年 母フアナ、トルデシーリャスで幽閉される。
      疱瘡を病む。
1515年 ブリュッセルにてブルゴーニュ公爵に即位。
      妹マリー、ハンガリー王子ラヨシュ2世と婚約。
      アドリアン司教をスペイン摂政として派遣。
      妹イサベル、デンマーク王クリスチャン2世と結婚。
1516年 スペインで祖父アラゴン王フェルナンドが薨去。
      ブリュッセルにてスペイン国王即位を宣言。
1517年 フランドルを発ち、海路スペインに到着。
      トルデシーリャスで母フアナと再会。
1518年 カスティーリャ王国議会で国王即位を宣誓。
      国王即位承認のためアラゴン連合王国の各国議会を巡幸。
      弟フェルナンド、スペインを発ちフランドルへ。
      姉レオノール、ポルトガル王マヌエル1世と結婚。
1519年 祖父神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が薨去。
      皇帝選挙により、ローマ人の王に選出される。
1520年 ローマ人の王即位のため、スペインを発ちフランドルへ向かう。
      コムネーロスの乱が勃発する。
      途中、イングランドに立ち寄りイングランド王ヘンリー8世と会見。
      ドイツのアーヘンでローマ人の王戴冠式に臨む。

カルロス・マニアの「鑑」


「スペインハプスブルク カルロス5世の旅」
上野健太郎 著
JTB

 かなりマニアックな人物紀行です。(いや、「人物紀行」とは元来マニアックなものかも知れません。)歴史ファンなら誰しも、その人物のゆかりの地を訪れてみたいとは思うもの。しかし、それにも程度というものがあります。著者は研究者でもなんでもない、ただの一ファンなのです。
 カルロス5世は16世紀ヨーロッパに君臨した王で、広い領内を移動しながら統治した「旅する皇帝」としても知られている人物です。スペイン、ベルギー、オランダ、イタリア、フランス、ドイツ…誰に頼まれた訳でもない、著者はその足跡を自らの好奇心のみで10年余をかけて追いかけたのです。単なるファンにとても真似できることではありません!
 しかし!だからこそ、王の足跡を紹介する文に重みを感じるのです。「今わたしも同じ場所に立っている」と。時代は違えど、その土と、風と、空とを体験した者だけが、深い空想の世界へと旅立つことができるのです。この本はその旅の楽しみを分け与えてくれる素敵な一冊なのです。

 それにしても、私は著者の行動力に驚きと感動を覚えずにはいられません。

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