ロートレック子爵オデ・ド・フォワ(1485-1528、享年43歳)
フランス王国軍の将軍。ロートレック将軍として知られる。
1516年よりフランス占領下のミラノ公国で総督を務めた。
シャトーブリアン侯に嫁いでいた妹フランソワーズがフランソワ国王の愛人となり、
兄弟(レスカン伯トーマ、レスパール侯アンドレ)と共に国王軍の要職に取り立てられた。
1521年、圧政がたたり、スイス傭兵団の反乱を惹起し、ミラノ公国を追われる。
1522年、ミラノ公国の奪還を目指して北イタリアに侵攻したが、「ビコッカの戦い」で敗北。
1527年、ローマ劫掠の翌年にイタリア半島を急襲し、帝国軍をナポリ王国まで追い詰める。
約30年前のシャルル8世によるイタリア侵攻の再現とばかり、ナポリ征服まであと一歩に迫ったが、ジェノヴァのアンドレア・ドーリアの寝返りによって形勢が逆転。
折から陣中に発生したペストに感染し病没した。
王国軍は統率を失い、命からがらフランスへ引き上げた。
妹である「シャトーブリアン夫人」に対する国王の寵愛を笠に着て権勢を誇ったが、
愛人の存在を快く思わない王母ルイーズ・ド・サヴォワはフォワ一族を毛嫌いした。
1521年のスイス傭兵団反乱の発端となった給料未払事件は、
ロートレック将軍が国王に申し出た資金援助要請を王母が握りつぶしたとか(*)。
本当か???
*ギィ・ブルトン著/稲田晴年訳「フランスの歴史を作った女たち<第2巻>」中央公論社