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皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

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なべての救いは剣にあり


フランス大元帥。ブルボン公シャルル3世。(1490ー1527、享年37歳)

イタリア戦争の華。美しき騎士。
若くしてフランス王国の大元帥となりながら、
皇帝軍に寝返ることとなった数奇な運命。
歴史に悪名高い「ローマ劫掠」の指揮官でなければ、
彼の名声は違ったものになっていたでしょう。


「ブルボン元帥」として名高い彼ですが、もともとはブルボン家の分家筋にあたるモンパンシエ公ジルベールの子として生まれました。父・兄を早くに亡くしていたため、幼い頃より家督を継いでいましたが、1505年、彼はわずか15歳で本家の一人娘であるスザンヌ(こちらも当時14歳)と結婚します。彼女 の父であるブルボン公ピエール2世は、嫡男無くすでに1503年に世を去っていたので、この結婚はすなわち本家の相続を意味しました。

「マリニャーノの戦い」
彼が一躍その名声を高めたのは、1515年、即位間もない若き国王フランソワ1世がミラノ公国に侵攻した戦いに、指揮官として従軍したときです。先鋒を務めた彼は、ミラノ側のスイス傭兵部隊や教皇軍とよく戦いました。戦はフランス側の勝利に終わり、彼は「大元帥」の称号を得ることとなりました。

※(補足)渡辺一夫著作集の中の「戦国明暗二人妃 巷説・逆臣と公妃」によると、シャルルの大元帥任命は、マリニャーノ戦の論功行賞ではなく、それ以前の戦での活躍を評価していた先王ルイ12世の遺言によるものだったようです。
グイッチャルディーニ著の「イタリア史」におけるマリニャーノ戦の記述を読んでいても、戦の場面での彼の活躍の話は書かれておらず、戦闘が終わった後のミラノ公マッシミリアーノ・スフォルツァとの和平交渉役として登場するのみだったので、なるほど合点がいきました。

「相続問題」
戦での活躍と、その美しい出で立ちから王国内の人気を博したシャルルでしたが、やがてフランス王家にとっては目障りな存在になっていったようです。1521年、妻スザンヌが亡くなると、ブルボン本家の相続問題に王家が口を挟み、自らもブルボン家の血をひく王母ルイーズ・ド・サヴォワが自分も相続人であると主張したのです。しかも、その解決の条件として、彼女はシャルルとの結婚を提案してきたのです!このときシャルル31歳、ルイーズ45歳。この背景として、一つは王家がブルボン・モンパンシエ両公家の所領を手に入れて王権の集権化を図ること、そして、もう一つはルイーズは若くに夫アングレーム公を亡くしており、以前から美しき年下の青年シャルルに本気で思いを寄せていたのでは?といったことが考えられていました。

※(補足)スザンヌの父であるピエール・ド・ブルボンの妹マルグリットがルイーズの母であるため、二人はいとこ同士だったのです。また、ピエールの妻はシャルル8世の姉、アンヌ・ド・ボージューなのですが、彼女は夫とともに国王の摂政として長年権勢を誇り、宮中の第一線から身を引いた後も発言権を保ち続けていたため、息子と共に権勢を振るい始めたルイーズにとって邪魔な存在になっており、この機会にブルボン一族を宮廷から排除したい思惑もあったのではないでしょうか。

いずれにせよ、この相続問題でこじれた訴訟によりシャルルと王家の関係は悪化、王によりシャルルはブルボン本家の所領を没収されてしまうのです。憤慨した彼は、敵対関係にあったカルロス皇帝とイングランドのヘンリー8世と結び、王家を打倒し、フランスを2者で分割させる計画を画策します。しかし、この計画は実現されず、しかも、計画の存在が王の耳に入ることとなり、シャルルは王から命を狙われる身となってしまいました。

そして、ついにある晩彼はフランス北部の国境からフランドル領内に亡命、カルロス皇帝の下に仕えることとなったのでした。

「パヴィアの戦い」
カルロス皇帝軍の指揮官「ブルボン元帥」となったシャルルはフランスとの戦に闘志を燃やし、北イタリアのロンバルディア戦線で繰り広げられた熾烈な争いは、シャルルとフランソワ王を再び引き合わせることとなります。

1525年、再びミラノを占領したフランソワ王は北イタリアを進軍、皇帝軍のアントニオ・デ・レイヴァ将軍が守るミラノ近郊の町パヴィアの要塞を包囲します。そこへ救援に駆けつけたナポリ副王シャルル・ド・ラノワ、ペスカラ侯爵フェルナンド・ダヴァロス、そして「ブルボン元帥」の3人が率いる援軍が到着、激しい攻防戦が開始されました。この戦いでフランス軍は潰走、自ら指揮をとっていたフランソワ王やモンモランシィ元帥が捕虜として捕らえられたのでした。

フランソワ王はスペインのマドリッドに連行され捕囚の身となりますが、恐らくシャルルは王と対面したと思われ、この時彼はどんな気持ちで再会したのでしょうか…?

「ローマ劫掠」
1527年は彼の最期にして最悪の年になりました。
皇帝は、コニャック神聖同盟に対する報復として、ドイツからゲオルク・フルンツベルク将軍が率いるドイツ傭兵「ランツクネヒト」隊をイタリアに向けて南下させ、また、当時ミラノを任せていたブルボン元帥にはスペイン兵を率いて同じくローマへ向かわせました。
ランツクネヒトとはドイツ南部出身の傭兵たちからなる歩兵部隊で、その武勇とともに進軍中の素行の悪さで知られる「荒くれ者」の集まりでした。彼らの目的は、戦功による名声を得ることと、戦で訪れた町や村を略奪して富を得ることでした。

そんな彼らに「父」と慕われたフルンツベルク将軍は、傭兵たちをうまくコントロールして歴戦をくぐり抜けてきたのですが、この時、北イタリアまで軍を進めたところで、将軍は病に倒れ前線を離脱してしまいます。そこへブルボン元帥の軍が合流しフルンツベルク隊を引き継ぐことになりました。しかし、ドイツから長距離の行軍を強行して来た兵士の間には疲労がたまっており、また、契約期間が超過して給金の支払いが遅れていることで大きな不満もたまっていきました。今にも爆発しかねない兵士たちを前にブルボン元帥は「世界の首都ローマに行けば、諸君の手に入れたいものは何でもある!」と繰り返し、なんとか不穏な空気をなだめ続けました。

しかし、更に悪いことには、ドイツ兵はキリスト教界の革命児ルターの信奉者だらけだったことです。カトリック教会の腐敗を糾弾し、信仰は聖職者のものではなく、個人にこそ帰するものであることを説いて、民衆の圧倒的な支持を得始めたころでした。彼らにとって、カトリックの総本山ローマは教会の腐敗の巣窟であり、まさに「バビロン」の都であったのです。

そんな一団を辛うじて「皇帝軍」としてつなぎ止めていたブルボン元帥は、ついにローマの城門の前にたどり着きます。飢えた兵士たちを解き放つにはローマに攻め込むしかありません。しかし、城門突破の攻略の最中、元帥はローマ防衛軍の砲弾の前に倒れてしまいます。シャルル・ド・ブルボン、享年37歳。アンドレ・シャステル著「ローマ劫掠ー1527年、聖都の悲劇」の中で、著者は「もしブルボンが緒戦での死を免れていたならば、その非凡な指導力によって事件の成り行きを大きく変えることもできたかもしれないのだが。」と語っています。

 鎖のちぎれた狂犬を止める者はもういません。ローマ中の破壊と略奪を繰り返した「皇帝軍」は、時の教皇クレメンス7世を人質として軟禁し、1年以上に渡って市内を「無政府状態」におき悪逆の限りを尽くしたそうです。

「元帥についての余談」
美しき騎士ブルボンにまつわる噂話として、フランソワ王の姉であるマルグリット王女(アランソン公妃、のちにナバラ王妃)とお互いを慕う仲であったというものがあるそうです。しかし、シャルルはブルボン本家の婿、マルグリットはアランソン公の妃となったので、結ばれることはありませんでした。そんな事情を知ってか知らずか、ルイーズ・ド・サヴォワの求婚話は、つまりは自分の娘の彼氏を横取りしようとする母親の暴挙であったわけで、王宮内の色恋沙汰の激しさを物語るものではあります。ただ、このことはまだ情報が少ないので、追って調べていこうと思っています。

※渡辺一夫著作集13補遺上巻(筑摩書房)に収録の
 「戦国明暗二人妃 巷説・逆臣と公妃」を通読中。今後内容整理予定。

パヴィア戦後フランソワ王がに捕われた際、マドリッドのカルロス皇帝を、マルグリッドが弟の解放交渉のため訪れています。ブルボン公もこのときマドリッドの皇帝を訪れているので、2人が再会することはあったでしょうか?ただし、マルグリットは皇帝と2人きりの密室交渉を行ったために、後に「自らを捧げて弟の解放を取り付けたのでは?」との噂が取り沙汰され、また、ブルボン公は、皇帝から約束されていたレオノール妃との再婚話が、フランソワ王との婚約によって、ふいにされてしまいます。

ローマで倒れたブルボン公は、最期の瞬間、マルグリットとの思い出を口にしたとかしないとか…?
ブルボン公が世継ぎを残さず戦死してしまったため、ブルボン本家はついに断絶してしまいます。この後を継ぎ、新しくブルボン家を名乗ることとなったのは分家のヴァンドーム公家。その息子アントワーヌが、マルグリットの娘ジャンヌの夫となるのは何とも因果を感じます。

そして、2人の息子アンリ・ド・ブルボンはやがてブルボン王朝の祖アンリ4世としてフランス王の地位に就くことになります。

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