1555年 10月25日
ブリュッセルにてブルゴーニュ公爵位退位式典開催。
スペイン王位、ブルゴーニュ公爵位を息子フェリペに、
神聖ローマ皇帝位を弟フェルナンドに譲る。
1556年 8月8日
スペインへ向かうため、ブリュッセルを出発。
9月17日
ネーデルラントのフリッシンゲンの港を出発。
見送りに来た息子フェリペとは今生の別れとなる。
9月27日
スペイン北部ラレドの港に到着。
宮廷のあるバリャドリードに向かう。
10月20日
途中の町カベソンで出迎えた孫と会う。
孫の皇太子ドン・カルロスとは初めての対面。
10月21日
バリャドリードに到着
11月4日
宮廷に別れを告げ、隠遁地ユステに向かう。
11月12日
ユステの手前の町、ハランディーリャ到着。
地元領主オロペサ伯の城で仮寓生活を送る。
1557年 2月3日
ユステ修道院に入る。
4月2日
執事長ルイス・キハーダが里帰り。
8月10日
サン・カンタンの戦いでスペイン軍がフランス軍に勝利。
その10日後、勝利の報にユステが沸く。
8月23日
キハーダが戻る。
9月28日
姉レオノールと妹マリーがユステを訪れる。
1558年 1月18日
レオノールが30数年振りに娘マリアと再会。
2月18日
再会の地からの帰路、レオノール急死。
3月12日
フランクフルトで開催された帝国議会において、
弟フェルナンドが次の皇帝として承認される。
神聖ローマ皇帝フェルディナント1世として戴冠。
7月6日
一時帰郷したキハーダが妻とユステに戻る。
庶子ヘロニモと初めて対面する。
のちのオーストリア大公ドン・フアン。
8月30日
体調が急激に悪化する。
9月20日
トレド大司教が駆けつけ、ミサを執り行う。
9月21日未明
カルロス5世薨去。享年58歳。
*参照「皇帝カルロスの悲劇 藤田一成著 平凡社」より