忍者ブログ

皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

怒れるサラマンドルが登場。即位500年の夜明け。




2015年の年が明けました。
カルロス皇帝の歴史を辿る中で、いよいよ重要な年代が幕を開けます。
今より500年前の1515年1月1日、
カルロス皇帝の生涯のライヴァル「怒れるサラマンドル」が
前王ルイ12世の崩御により、フランス王位に就きました。
弱冠20歳の若き国王、フランソワ1世の誕生です。




同時代に書かれた文献等に基づいて、当時の様子をのぞいてみましょう。

◆「フランソワ1世治下におけるパリ一市民の日記」(抜粋)
(「泰平の日記」渡辺一夫 著より)

現に王位にあるフランソワ1世は、ルイ12世王の死後、王位継承法により継承者となったが、ルイ王に男の子がなかったので、その最も近い血縁者としての資格によったものである。しかし、ルイ王は、死するにあたり、ただ二人の娘を残したのみで、男子はなかった。姉はマダム・クロードであり、他の一人はマダム・ルネである。マダム・クロードは、ルイ王が、故ブルターニュ女公・王妃マダム・アンヌに産ませたのであるが、件のフランソワ王は、ルイ王在世中ブルターニュ女公として、これ(クロード王妃)を娶ったのである。

◆フランチェスコ・グイッチャルディーニ著「イタリア史」第12巻第10章(抜粋)
(「イタリア史Ⅵ」末吉孝州 訳より)

ルイ12世の後を継いだのはアングレーム公フランチェスコである。(中略)フランチェスコのヴィルトゥ、雅量、才知とエスプリについては遍く大きな期待が持たれていたので、何ぴとも、これ以上の大きな期待を持たれて王位に就いた者は長年にわたってかつていなかったと告白するほどである。なぜならば、彼は最高の優雅さ、22歳という華のような年齢、際立った身体の美しさ、物惜しみない鷹揚さ、すべての者に対するこの上ない優しさ、といったような特徴と、多くの物事を知り尽くした、その知識の豊かさを両立させていたからである。とくにフランチェスコは貴族たちに感謝されていた。最高の礼遇をもって彼らを遇したからである。

パリ市民の日記で解説されているとおり、直系の男子を残さなかったルイ王の後を受け、娘であるクロード王妃と結婚していたアングレーム公フランソワが、ヴァロワ=アングレーム王朝の祖として即位しました。

2つの文献は、この後、どちらもフランソワ国王のイタリア侵攻の顛末を取り上げています。
後の世にいう「マリニャーノの戦い」の勝利によって当時のヨーロッパに鮮烈なデビューを飾ったフランソワ国王は、ミラノの支配権を再びフランスのものとすることになりました。

今年は、1515年1月の国王の即位から始まって、7月のミラノ侵攻、9月のマリニャーノの戦い、そして12月に教皇レオ10世とボローニャで会見してフランスに帰還するまでの1年間をカルロス皇帝(この時は、まだ15歳のブルゴーニュ公シャルル)との関係を踏まえながら、見ていきたいと思います。


PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Copyright © 皇帝カルロス! : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]

管理人限定

プロフィール

HN:
ベルデ
性別:
非公開

最新コメント

[04/20 あいや]

最新トラックバック

ブログ内検索

バーコード

アクセス解析