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皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

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皇帝陛下の代理人


ナポリ副王。シャルル・ド・ラノワ(1487-1527、享年37歳)
*「パヴィアの戦いで捕虜となった仏王がナポリ副王に帯剣を差し出す」の図

ナポリ王国の副王(総督とも言う)。
イタリア戦争前期の皇帝軍の将軍。
カルロス皇帝がイタリアでの覇権を確立していく1520年代、
現地に於ける皇帝の名代として、戦闘の指揮はもちろんのこと、
外交交渉の面でも重要な役割を果たした人物。
皇帝が幼い頃から側近として仕えており、
同郷の勇士として大きな信頼を得ていたようである。

フランドルの名門貴族ラノワ家に生まれたシャルルは、一族が代々そうしてきたように、始めブルゴーニュ公国の宮廷に出仕しました。
宮廷での才能を認められた彼は、当時まだ幼かったブルゴーニュ公シャルル(後のカルロス皇帝)の側近に取り立てられ、1516年には金羊毛騎士団に叙任、次第に公国貴族のエリート街道を歩んでいくことになります。

彼が歴史の表舞台に登場するのは1522年、ナポリ王国の副王に抜擢され、イタリアにやって来ることになった時からです。「副王」とは領主である皇帝の代理人として領地を治める地位のことですが、当時のナポリ王国は、フランスとイタリア半島の覇権を巡って争うスペイン側の最前線基地であり、イタリア戦争における現地責任者として重責を担う重要な役目でもありました。

着任して間もなく、彼はさらに重要な役目を引き受けることになります。
それまでイタリアにおける皇帝軍の最高指揮官として、歴戦をくぐり抜けて来た老将プロスペロ・コロンナが重病によりこの世を去ったため、ナポリ副王がその地位を継ぐことになったからでした。

1524年、ミラノ公国の奪還を目指して侵攻してきたボニヴェ侯ギョーム・グィフェ率いるフランス軍を、皇帝軍の指揮官としてイタリア北部のセージア川付近で打ち破ると、ブルボン公の軍と合流してフランス王国内に逆侵攻。南部の都市マルセイユを包囲しました。
包囲戦は失敗に終わったもの、このことがフランソワ国王による3度目のミラノ奪回作戦を誘発し、やがて「パヴィアの戦い」につながっていくことになります。

1525年、ミラノを制圧したフランス軍に包囲され籠城戦を強いられているパヴィアの皇帝軍を救援するため、ブルボン公やペスカラ侯とともに駆けつけたナポリ副王。激戦の末に捕虜となったフランソワ国王と会見した彼は、王の尊厳を尊重し、騎士として丁重に迎えました。

1526年、軟禁状態が続くフランソワ国王の解放に影響を与えたのがナポリ副王。そもそも、捕虜となった国王をイタリアからスペインへ護送したのも彼(皇帝軍の諸将はイタリアに留めておく積りだったらしい)、軟禁中の王の外出や狩猟に常に付き従ったのも彼。フランソワ国王を信用ならない相手として軟禁継続を訴える大法官ガッティナラに対して、反論演説を展開しカルロス皇帝の決意を決定づけたのも彼でした。

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