忍者ブログ

皇帝カルロス!

16世紀ヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世ファンのブログ。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

祖父、フェルナンド


アラゴン連合国王フェルナンド2世・カスティーリャ国王フェルナンド5世
(1452ー1516)

母方の祖父。スペイン統一の父。
妻イサベル女王とともに「カトリック両王」の称号を持つ。
野心家の彼によって、スペインは強大な国となりますが、
晩年は後継者問題に悩まされました。

中世よりイベリア半島はイスラム教勢力による支配を受けていましたが、
15世紀末、その領土はキリスト教徒たちの手に戻りつつありました。
「レコンキスタ(国土回復運動)」の戦いが大詰めを迎えたのです。
キリスト教国側を率いるのはアラゴン連合国王フェルナンド。
イベリア半島東部のアラゴン、地中海沿岸のカタルーニャ、バレンシア、
地中海に浮かぶバレアレス諸島、シチリア島、そして南イタリアのナポリ
王国がアラゴン「連合」王国と呼ばれる、その領土です。
彼が大きな力を得たのは、1469年、同じ半島の隣国カスティーリャ王国
の女王イサベルと結婚したことによるものでした。これにより、夫婦の元
で「スペイン」という新しい国が誕生したのです。
1492年には最後のイスラム教勢力グラナダ王国を滅ぼし、長きにわたる
レコンキスタが完結しました。これにより二人の王は、ときのローマ教皇
アレクサンデル6世から「カトリック両王」の称号を得たのでした。

政治的には大きな成果をあげた二人の王ですが、後継者問題に悩みました。
彼らには5人の子供達がいましたが、うち4人が娘でした。王女達は当時
の諸王家の例にもれず、政略結婚によって他王家に散らばっていきました。
唯一の王子フアンは、妹フアナとともに皇帝マクシミリアンの息子、娘と
二重結婚をすることになりました。当時、対フランス王国の利害が一致し、
ハプスブルク家との強いつながりを、フェルナンドは望んだのです。
しかし、王子フアンは、幾多の戦乱をくぐり抜けたカトリック両王の長男
とは思えない程の虚弱体質で、結婚してわずかの後に死んでしまいます。
妃マルグリットは王子の子を身籠りましたが、不幸にも流産でした。
一人息子を失ってしまった彼は、他家に嫁いだ娘たちの行く末を案じます。
孫達を後継者として期待したのです。ポルトガルへ嫁いだ長女イサベルに
生まれた長男に至っては、スペイン宮廷に招いて養育したほどです。
しかしその王子も生後間もなく死去。長女イサベルまで死んでしまいます。
これにより夫婦の望みは、ブルゴーニュ公国に嫁いだ次女フアナの子達に
託されたのです。次期王位継承者となったフアナと再会した彼らですが、
婿フィリップの態度、そして娘の精神面の変化に不安を覚えます。
政略結婚の予想外の結果に、スペイン王家が将来ハプスブルク家のものに
なろうとしていることに、彼は大きな焦りを感じたのでした。

やがて妻イサベルが亡くなると、彼はハプスブルク家に乗っ取られまいと、
敵であったはずのフランス王家の血を引く若い妻、ジェルメーヌと再婚し、
また、フアナの次男に自分と同じフェルナンドの名をつけさせ、スペイン
で養育させました。
なんとしても自らの手で後継者を育てたかったのです。。。
しかし、その願いも空しく1516年に彼はこの世を去りました。
スペイン王国はハプスブルク家の惣領、ブルゴーニュから来た孫カルロス
が治めることなり、手塩にかけて育てた孫フェルナンドはスペインを離れ、
遠い東ヨーロッパの地で活躍することになったのでした。

PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Trackback

この記事にトラックバックする

Copyright © 皇帝カルロス! : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]

管理人限定

プロフィール

HN:
ベルデ
性別:
非公開

最新コメント

[04/20 あいや]

最新トラックバック

ブログ内検索

バーコード

アクセス解析